木のある心地よい暮らし

木と人との深いつながりを「ことわざ」から知ろう!

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木と人との深いつながりを「ことわざ」から知ろう!

「猿も木から落ちる」「寄らば大樹の陰」など、日本には「木」にまつわることわざがたくさんあります。普段何気なく使っている言い回しのなかにも、改めて考えてみると「木」にまつわる言葉が含まれていることも。それだけ木は昔から私たちにとって身近な存在だったのです。

それらのことわざのなかには木の本質を表しているものも多く、それらを知ることで、これまで知らなかった木の特長に気づけるかもしれません。今回は、木に関することわざや故事成語を紹介していきます。誰もが知っている表現から少し珍しいもの、また外国の言葉も紹介しますので、気になるものがあればぜひ今日から使ってみてください。

人間の生きざまを表す桜のことわざ

木といえば、まず桜を思い浮かべる人も多いでしょう。一年のうちわずかな期間だけ美しい花を咲かせてパッと散る桜は、潔い死に際を選ぶ武士の姿に重ねられ「花は桜木、人は武士」ということわざが作られました。人間も桜のように潔い最期を迎える姿が美しいと説くこの言葉からは、桜の生きざまが人間の理想と考えられていたことがわかります。

桜関連の有名な言葉として、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が詠んだ「明日ありと思う心の仇桜」という歌もあります。鎌倉時代、仏門に入る決心をした親鸞が夜中に天台座主の慈円を訪ねた際、翌朝まで待つようにと一旦断られました。しかし、朝まで待てない親鸞はこの歌を詠み、「桜も自分もはなかい命で、明日の朝まで生きていられるかわからない」と伝えたそうです。この歌を詠んだ当時、親鸞はわずか9歳だったというのだから驚きですね。「桜も人間も明日はどうなるかわからないから、今を精一杯生きよう」と私たちの背中を押してくれる言葉です。

高級感のある檜は昔から特別な存在

大事な場面を迎えるとき、「檜舞台に立つ」と表現することがありますよね。これは江戸時代には大劇場の舞台にのみ檜の床板が使われていたことが由来となっていて、今でも大舞台に立つ役者は「檜舞台を踏む」と表現することが多いようです。

前章で「花は桜木、人は武士」ということわざを表現しましたが、ほぼ同じ意味を持つ「木は檜、人は武士」という言葉があります。檜は桜のように美しい花を咲かせることはありませんが、かぐわしく加工しやすいため、建材や家具などさまざまな用途で使われ、多くの樹種のなかでも最上級とされてきたのです。

現在も高級旅館の浴槽や高級寿司店のカウンター板に使われていることが多い檜。優しい香りとやわらかな肌触りは檜特有のもので、昔も今も私たち日本人の心を癒やしてくれる存在です。

人間のお手本としての姿を現す柳

日本国内では公園樹や街路樹として目にすることが多い柳の木。日本で柳の木と言えばしだれ柳が一般的で、そよそよと風に揺れる姿を見かけたことがある人も少なくないでしょう。また「幽霊が現れやすい木」というイメージも根強くあります。繊細な形状をしていることから爪楊枝や花材、細工物などによく使われています。

そんな柳に関することわざは非常に多くありますが、もっとも有名な言葉は、相手の言うことをうまく聞き流すという意味を持つ「柳に風」でしょう。日常生活でも周りと波風を立てず、何を言われてもうまくかわしていけるのが理想的ですよね。風に逆らわないで悠然とたたずむ柳の姿は昔から処世術のお手本と考えられていたようで、「柳に風」とほぼ同じ意味を持つ「柳で暮らせ」「風に柳」という言葉もあります。

しなやかさがありながらも、実は頑丈な柳の木。雪が降り積もっても、よくしなってふるい落とす柳の姿から、柔軟なものほど忍耐強く困難を乗り越えられると考えられ、江戸時代には「柳の木に雪折れはなし」という言葉が作られました。主張は控えめながらも芯が強く、トラブルにもしなやかに対応できる柳は、現代でも理想とされる姿です。

もうひとつ、柳に関することわざで忘れてはならないのが「柳の下のどじょう」です。たまたま一度柳の下でどじょうを捕まえたからといって、いつも同じ場所にどじょうがいるとは限りません。同じ手がいつまでも通用すると思わず、常に探求心を持つことの大切さを教えてくれることわざです。

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